BEYOND THE IDOL

 第五章 ◆多様化していく'80年代アイドル(中盤~後半)



 '80年代後期に突入してしまう前に、おニャン子の当来前……言わば中期の状況を振り返りつつ、後半への流れを見ていきたいと思います。
 第二章の後半で、アイドル業界は新人が台頭できる可能性を秘めている……それ故の量産が'80年代の特徴という方向性を示唆しました。松田聖子や中森明菜などの新世代も、デビュー曲から大ヒットしたわけではありません。しかし'80年代中期あたりになると、その立場も確固たるものとなり、おいそれと新人が太刀打ちできる業界ではなくなっていく傾向を示します。
 時の新人は駆け出しの時間も与えられず、'80年代前半の新人とは比べ物にならないポテンシャルを兼ね備え、更にドラマなどの話題も後ろ盾とした、即戦力としてのアイドルでなければ打ち勝てなくなっていきます。
 それが'84年の巨額を投じたアイドルグループや、後世にもその質の高さが認められている'85年組と言われる世代の登場に繋がっていきます。ある意味でおニャン子クラブという商法もそのひとつだったと言えるのかもしれません。いずれにせよ、新人が大事に育てられる余裕はなく、ひたすら競争力が必要とされ始めた時代になってきました。
 前々項でも触れた斉藤由貴、本田美奈子、松本典子、中山美穂、芳本美代子、浅香唯、南野陽子の活躍は今さら語るまでもないでしょう。スケバン刑事の3人は奇しくも同年デビュー。世間的な認識はドラマに出演した順番に登場したんじゃないか、と思われても不思議ではないでしょう。特に浅香唯などは、デビューから数年はB級的な存在で、同ドラマでブレイクし「C-Girl」などのCMソングをヒットさせるまで、その存在すらあまり知られていなかったくらい希有なアイドルでした。
 それだけドラマの影響はデカく、認知の源・活動の軸と言っても過言ではありません。アイドルがドラマに出演すると言えば、'70年代の山口百恵の代表作「赤いシリーズ」を始めとして、大場久美子の「コメットさん」や榊原郁恵の「ナッキーはつむじ風」。また企画色が強いところでは、松本伊代や柏原よしえが主演の「ピンキーパンチ」……などが'80年代前半。そして堀ちえみの出世作「スチュワーデス物語」が有名なところ。
 しかし、この'80年代中期からアイドルドラマは花盛りとなっていきます。恣意的にアイドルを起用し、アイドルをブレイクさせる手法として利用されたり、アイドルファンを視聴者として意識したかのような番組作りがなされていきます。
 先の大映テレビ製作としては、小泉今日子の「少女に何が起こったか」、伊藤かずえの「ポニーテールはふり向かない」、伊藤麻衣子「不良少女とよばれて」、井森美幸「遊びじゃないのよ、この恋は」、堀ちえみ「スタァ誕生」「花嫁衣装は誰が着る」、南野陽子「アリエスの乙女たち」、杉浦幸「ヤヌスの鏡」、安永亜衣「プロゴルファー祈子」……なんてのもありました。また大映ではありませんが、岡田有希子主演の「禁じられたマリコ」なんてのもありましたね。
 東映系では前出の「スケバン刑事」。先の主人公3名以外にも、相楽ハル子や風間三姉妹としての大西結花・中村由真など、闘うアイドルの姿を印象づけていきます。続く、五十嵐いずみの「少女コマンドーIZUMI」、そしてアイドル大量投入と東映系特撮の香り、そして原作の人気により大ヒットとなった(?)「花のあすか組」。特に小高恵美や小沢なつきなどは、あすかやミコ(orぱいぱい)の印象しか持ってない人も多いかもしれません。
 また、それに続けとばかりに「セーラー服反逆同盟」(仙道敦子)なんてのもありましたが、どこまで続いたのか分かりません。
 そして極め付きが、中山美穂主演の「毎度お騒がせします」や「夏・体験物語」あたりでしょうか。「夏~」には少女隊や網浜直子、藤井一子あたりも出てましたね。この頃のドラマの特色は、アイドルの主演だけでなく、脇役もしくはゲストにもアイドルを起用することでしょうか。先の「スケバン刑事」では、北原佐和子がゲストでアイドル役として出演してたこともありますが、こうしたアイロニックな使われ方以外にも思わぬ出演があったりしたものです。
 あと、連ドラとは違いますが、フジテレビの月曜ドラマランドもアイドルの宝庫でした。小泉今日子の「あんみつ姫」や石川秀美版「翔んだカップル」などシリーズになる作品以外も、単発であれば早見優や宇沙美ゆかりを始めとして、著名なアイドルはかなり出ていたと記憶しています。後期(?)はそれこそおニャン子勢が席巻していた感もありましたね。
 ……と、ドラマばかり挙げていたらキリが無さそうなのでこのくらいにしておきますが、こうしたドラマ出演という武器を持ったアイドルと、ひたすら歌を中心したアイドルという分化を感じざるを得ない状況でした。ベストテン形式以外にアイドルを扱う歌番組もまだまだ多く、ドラマ露出がなくても「アイドル歌謡~ポップス」という流れが途絶えることはないように感じていました。
 とはいえ、なんか「ドラマに出てナンボ」という印象も強く、露出されないアイドルの良質な歌より、露出の多いアイドルの普通の歌(しかも露出が多いので、聞き馴染んでしまう歌)のほうがヒットしちゃう。そういう状況を感じてしまうと、何か'80年代前半の、アイドルや楽曲を単体で競うモノとは違い、テレビ局や制作会社、事務所やレコード会社などの総力戦のような感じに激化していっている印象もありました。
 そうしたバックボーンの最たるものが、ひとつの勢力として猛威を振るうわけですが、その最たるものがおニャン子だと言えるでしょう。リリースする楽曲はすべてヒットし、派生ユニットやソロ活動など、音楽業界を席巻していきます。その猛威は留まるところを知らず、その影でスポットライトがあまり当たらなかったアイドルを数多く生み出してしまいます。
 そもそも、素人をアイドルに育て上げ集団で管理する手法は、'83年に創刊された「Momoco」で試されていたもの。この手法によって「桃組」として質の高いアイドルを輩出してき、おニャン子の影でTV番組の「モモコクラブ」も奮闘を見せます。
 とはいえ、モモコクラブはグループとして活動することがほとんど無かったため、枠組みとしての認知度も低く、単なるアイドル支援&輩出機関として機能したに過ぎない感じは否めませんでした。
 しかし、そこを主舞台として活躍したアイドルとしては、第1回グランプリで、「ドン松五郎の生活」でいきなり主演デビューした西村知美、TVのドラマで活躍した杉浦幸、類い稀なビジュアルとその儚げな印象で、'80年代後期のアイドル路線を指し示した島田奈美、その他には白田あゆみや白石さおり、畠田理恵など一定水準以上のクオリティを持つアイドルを取り揃え、雑誌を始めVHDやTV番組、イベントやファンの集いと、多角的に展開していきました。
 あえて特筆すると初期の島田奈美の持つアイドルとしての絶妙なバランスでしょうか。柔軟な歌唱力の中に危うさを秘め、気品のあるルックスの中に儚さを持ち合わせ、まさに美少女と呼ぶにふさわしいアイドルだと言えましょう。
 そして、モモコクラブの名を一躍有名にしたのが酒井法子の登場でしょう。彼女を出さずして'80年代後期は語れません。あくまで正攻法、かつ'80年代後半特有の勝負の仕方、アイドルとしてのキャラクター性をすべて兼ね備えていました。それにより「ノリピー」という商品化・記号化は、まさに'80年代アイドルの象徴として、そしてアイドルとしての在り方のすべての回答がそこに詰まった存在として君臨していきます。
 この頃になると「松田聖子を見て育った世代」が登場してきます。ノリピーが実際にそうかどうかではなく、キャンディーズやピンク・レディーよりも聖子や明菜を見て歌った世代が、これ以降のアイドルシーンを支えてく移り変わりの時期と言えるでしょう。
 アイドル産業というものに対する自覚を持ち、松田聖子の「おかさぁ~ん」という涙を流さない号泣こそアイドルのそれだとインプリントされた世代ですね。それ故にアイドルとしての成功は、業界的世渡りであるという流れに身を任せた者が大成する中、いつもにこやかに振るまい、一生懸命歌を歌い、異性の存在を感じさせず、それこそアイドルとしての処女性を守っている……こう書くと旧態依然としたアイドル像なのかもしれませんが、それこそがアイドルの原点だと体言した女の子と、それを信じたファンが作り上げたもの……それがモモコクラブだったのかもしれません。
 特にノリピーなどは「アイドルになるべくして生まれてきた娘」という印象でしたが、同様に姫乃樹リカにも同じ言葉が当てはまるような気がします。
 しかし、上記で語ったアイドルの数十倍(いや数百倍?)のアイドルが山ほどいたにも係わらず、語り尽くせないのは寂しい限り。これだれバラエティ性があった時代ですが、セールスとしの成功者はやはり中森明菜や南野陽子、中山美穂、そしておニャン子勢だったりするわけですね。そこを無理して、B級・C級アイドルを掘り下げることより、少しでも全体傾向を示すことを優先しているため、話を進めていきたいと思います。
 しかし'88年から'89年は、Winkや森高千里、乙女塾が登場してくるんですね。さすがに彼女たちは、また新たな時代の幕開け的な存在でもあるので、次回の'90年代編への足がかりとしてまとめていきたいと思います。

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