BEYOND THE IDOL

 第六章 ◆細分化していく'90年代アイドル(前半)



 '80年代後半、おニャン子人気を受け継いだうしろ髪ひかれ隊と、そのメンバーである工藤静香が注目されている中、'80年代の終焉と'90年代の序章を予感させるアイドルが登場してきます。
 その中でも特筆すべきはWinkでしょう。当初は洋楽カバーによる聞き馴染みからのヒットチューンが多かったように感じますが、そのアイドルとしての風貌と「作られた感」のある立ち回りは、同じ作り物のおニャン子にとは違った意味でその存在感を大きくしていきます。
 また類い稀なスタイルと、迎合か独自のスタイルか掴み難いキャラクター性を持って人気を博した森高千里。こうしたアイドルの登場は、そもそも「アイドルに仕掛けあり」ということを分かった上でも、そこに魅力があれば正当に評価していく、という支持の姿勢をもたらしたものと考えていいかもしれません。
 アイドル像は時代により移ろいがあります。'70年代前半の親しみやすさの時代を経て、ヒットソングによる国民的人気を博し、手の届かない存在と考えられた時代。それにより完成度を求められた時代。そして前章の'80年代中盤からは、あえて裏舞台を見せ、素人でもアイドルになれるからくりと共にファンを巻き込んで成長していくタイプが増えるなど、価値観には大きな波がありました。
 しかし、アイドルにはそうした仕掛けがあることを容認しつつも、プロフェッショナルとして品質の高いアイドルとしての立場を築くことに成功したのが、前述したWinkや森高千里らだったのでしょう。
 そして'89年には、そうしたクオリティの高いアイドルを「育てる」という、'80年代中期のテイストを付け加え、おニャン子の夢よもう一度……と言わんばかりに、乙女塾が登場。ここからの輩出組であるCoCoやribbonの人気は、デジャヴ感こそあれ、'90年代の中では従来のアイドルの血脈を受け継いだ存在だったと言えます。
 それを横目に見つつ'90年代に入って「アイドル共和国」から生まれた桜っ子さくら組も、アイドルやタレントを輩出するシステムとして機能しました。ただ、クオリティの高いメンバーに恵まれながらも、どういったアイドルを目指すのかが希薄な感じも否めず、グラビアアイドル的な井上晴美や正統派の持田真樹、現在でも女優として活躍する菅野美穂や中谷美紀など、個人の力量による後の活躍のほうが目覚ましかったと言えるでしょう。
 また、'80年代最後のアイドルとして、アニメ番組とリンクした形で登場して話題をさらった田村英里子の存在も忘れてはなりません。アイドルのデビューにタイアップが必要なことは言うまでもありませんが、ここまで露骨に打ち出すことに否定的な意見を押しのけて、見事に成功を収めた背景には、アイドルファンとアニメファンの存在の近似性が挙げられるでしょう。
 そもそもマニアックな追求がされがちなアニメに対して、大衆性があると思われてきたアイドルも'80年代中盤あたりから、恣意的にマイナーな存在やB級と呼ばれる層に着目する傾向が強まります。このような探求はマニア気質とも通じ、アイドルマニアやアイドルおたくと呼ばれる存在が市場形成の一部分を担っていきます。こうしたマニアは、当然古くから存在しますが、サプライサイドがある意味でのニッチ市場として確実に認知しはじめたという感覚です。
 そうした背景から、アニメに登場するアイドルに符合させた格好として、田村英里子・田中陽子が登場。その他、OAVやゲーム音楽のテーマソングを歌うアイドルが続々と登場し、アニメ業界のアイドル的存在である声優ムーブメントに合流していくと考えられると思います。
 話を戻して'90年。乙女塾を母体として登場したCoCoは、'90年代前半のアイドルとして一世を風靡します。その人気は'80年代後半にランキング型音楽番組が次々と打ち切られ、アイドルの露出が徐々に減ることで衰退に繋がっていった状況がウソのように、……いやその反動とも言える盛り上がりで、時代を駆け抜けてきます。
 同じ乙女塾出身のribbonは、5人のCoCoに比べ3人というハーモニーバランスを重視。楽曲への真摯な取り組みで、また違った人気を博していきます。この他、Qlairなどもデビューしますが、この時期の乙女塾パワーは、アイドルが健在であることを見せしめる役割としては十分過ぎる人気で、多くのファンと共に一時代を築きます。
 しかし、それは同時に存在誇示というニュアンスを強く含んでおり、肩の力を抜くといつ消え去るか分からない危うさを感じていたのは私だけでしょうか?
 同じ'90年はアイドルが別の進化形態を示し始めた時期でもあります。日本美人大賞なるコンテストから登場したC.C.ガールズ。あるいはT-BACKS、Giri Giri GIRLSの存在です。有り体に言えば、'80年代のアイドルが持っていた魅力が「可愛らしさ」なのに対して、彼女たちは「美しさ・スタイルの良さ」をビジュアルの売りとしていました。
 その流れを汲む存在として登場したかに見えたSUPER MONKEYSは、ダンスの力量や歌唱力など、アイドルというよりもアーティストというカテゴリーに括られる傾向もあり、後の安室奈美恵の立場がそれを指し示していると言えるでしょう。彼女の存在は、SPEEDなどアーティスト指向のアイドルの登場の足がかりとなる重要な役割でもあります。
 こうしたアイドルの進化は、先のWinkや森高千里、CoCoやribbonなどとは違った流れを作り出し、女性グループが'80年代型アイドルの創出のされ方とは違うビジネスを成立させていきます。
 またこの時期の傾向として、歌を活動の中心とせず、そのメインフィールドがドラマやCMで話題を作り出していくアイドルも増えてきます。その代表格が宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂。また内田有紀やともさかりえ、鈴木保奈美や常盤貴子なども、アイドル視された女優といえるでしょう。
 この「アイドル視」という視点が非常にやっかいで、TV局のアナウンサー(俗にいう局アナ)やお天気お姉さん、果ては女性スポーツ選手などもアイドルとして祭り上げてしまう状況を生み出します。こうなると、アイドルという言葉自体が独り歩きし、若年層の歌手を指し示す言葉というより、ある種の代名詞として手あたりしだい使われていきます。その傾向は現在も続き、結果としてコラムの主役である「真のアイドル」という存在を希薄にしていくことになってしまうわけです。
 更に、アイドルの細分化はTV出演とは別のフィールドで活躍していく存在を生み出します。それが東京パフォーマンスドールに代表されるライブ中心のアイドルグループです。このコンセプトは南青山少女歌劇団や制服向上委員会などが注目を集めることで、にわかにアイドルの「もうひとつの舞台」として活躍の場があることを示していきます。
 しかし、'70~80年代においてTVを付ければそこにいる……いわゆるお茶の間のアイドルという存在から、ライブチケットを入手しなければアイドルの魅力を享受できない状況になります。
 そうしたアイドルを応援する楽しみをTVなどのメジャーメディアで共有できないとなると、ライブに参加できる人とできない人で、アイドルに対する向き合い方に差が生じ、人気や支持のされ方に温度差が生まれていきます。言わば世間での知名度や一般的な人気はメジャーとは言いがたくも、ライブへの集客も良好で、コアなファンが支持し、十分にトップアイドルのそれである、という傾向ですね。
 それにより、アイドルの中には「ニッチ市場であれば十分に成立する」ことを恣意的に追求し、TVというメジャー露出よりも、ライブを活動の中心とするアイドルも登場してきます。この最たるものが、前述の制服向上委員会やFairy Taleなどが、かつてのアイドル市場のそれをライブパフォーマンスで展開していた好例と言えるかもしれません。
 しかし、彼女たちは決してメジャーシーンのスポットを浴びることはなく、しっかりとアイドル的活動をしながらも、世間のアイドル感とは乖離していく悲しさも持ち合わせていました。こうしたフィールドで活動するアイドルを「地下アイドル」と呼んだりすることもありますが、ファンとの結びつきやこだわりを持って活動している姿勢は、アイドル界において希有な存在でしょう。とりわけ制服向上委員会は現在も活動を続けており、メンバー変更を行ないながらも13年近い活動歴は、3~4年が寿命というアイドル史において最も長く続いているアイドルグループであることも事実です。
 この原稿のごく、まさに収拾がつき難い状況となっていくアイドル業界ですが、「もはや何がアイドルなのか」ということが分かりにくい迷走状態だったと思われます。
 次回は'90年代後半から現在までに続く、アイドルの再復権を中心に話を進めていきたいと思います。

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