BEYOND THE IDOL

 第二章 ◆記憶の奥底の'70年代アイドル



 前回は『アイドルマスター』との出会いと、その想いがテーマでした。今回からはそうした想いを理解してもらうためにも、私のアイドルへの傾倒を綴って行きたいと思っています。あと蛇足ですが、これからの文章にはアイドルの名前が出てきますが、すべで敬称略です。実のトコロ、普通にファンだったりすると呼び捨てって絶対に無いじゃないですか。なので、書いててもしっくり来ないし心地よくないんですけど、ここはひとつ敬称略ということでご了承願います。では本題。

 まず、アイドルの誕生は'70年代にあると言われています。自分はその手の学者(?)じゃないので、あくまで自分の体験でしか語れませんが、自分の記憶の中でもアイドルを意識したのも当然のごとく'70年代初頭でした。ぶっちゃけた話、その頃の歌謡曲の歌手は「歌が上手くてナンボ」であり、一般人よりも高い歌唱力が「芸の能力」として評価され、文字通り芸能人でありプロフェッショナルなんだと、誰に教わるまでもなく刷り込まれていました。
 しかし「生粋の歌手じゃなくても歌手として成立する」とか「歌が下手でも人気が出てしまう」という既存の価値観が崩壊した出来事……それが、天地真理・麻丘めぐみ・浅田美代子らの登場です(古っ!)。このあたりは、私の親がTVを見て「歌が下手だねぇ」と言ってたことも手伝って、「この人たち下手なんだ」と思ったことも多いに影響しているでしょう。確かに、それまでの歌手とは一線を画した、別の価値観によって支持されているという認識はありました。特に、自分のシンパシーとして感じ得たのは、大人たちが「下手」と言うことに対する反感だったのかもしれません。だからこそ「下手で何が悪い。下手だけど、それを補って余りある魅力があるんだからイイじゃないか」と心の底で思っていたようです。ま、まだ小学生に上がるかどうかって頃ですから、さすがに「補って余りある」なんて言い方はもちろんしてませんけど(笑)。

 それにしても、この頃の麻丘めぐみの存在は、まさにTVの威力の賜物と言っても良かったのかもしれません。とにかく「可愛い」という価値観をブラウン管から発していたこと。確実に若者にアピールしたこと。また、情感豊かに歌うこと以外の身振り手振りはあまり見受けられなかった時代に「振り付け」を定着させたこと。
 このトピックは、現在のアイドル史における金字塔でありつつ、自分的にはかなりオーパーツ的な完成度と捉えていたりします。小首をかしげるしぐさ、手を肩口から前に差し出す手振り、膝をカクンと曲げるポーズなどなど、今のアイドル振り付けの「まさにアイドルらしい」といわける振り付けは、ほぼ彼女が原形と言われています。しかも、TV画面という4:3の構図の中にひとりで立った際の見栄えから、腰上のショット、バストアップなど、カメラワークに見合った(理に適った)ポーズが用意されているなど、その計算高いビジュアルワークはアイドルの真骨頂と言えるでしょう。

 そして、その後「スター誕生」という番組で出てきた桜田淳子・山口百恵・森昌子(これも古っ!)。彼女らは特に歌が下手という印象は無いのですが、花の中三トリオという命名から、年端も行かない子供がプロの歌手の仲間入りという感じ。これまで自分の目線からは、大抵の歌手が「歌の上手いおじさんかおばさん」って存在だったのに、いきなり中学生……いや中学生であることより「学生」ってことに反応したのでしょう。
 この時も、世間の風潮の中には「ガキのくせに」というバッシングにも似た空気があったことを確かに感じとっていました。誰が言ったのかは定かではありませんし、ウチの両親が言ったわけでもありません。ただ、何となく芸能界全般の中で「下手でも人気が出ちゃう者」や「若い層」が確実に幅を利かせてきて、世代交代なんて甘いもんじゃなく、まさにパラダイムシフトが起こりつつあることを予感~実感させてくれました。

 この'70年代初期~中期は他にも、ビジュアル面で言えば南沙織、歌唱力でいえば岩崎宏美、『アイマス』的にはどう評価したらいいのか分かりませんがアグネス・チャンなど、どこかで一度は耳にしたことがあるアイドルが登場してきます。まぁ、あまりこの時代を掘り下げてもアレなので、このくらいにしておきます。
 で、この後の'70年代中期~後期になると、アイドルグループが散見されるようになってきます。まぁ、実際にキャンディーズのデビューは'73年なのですが、どうしても人気の中心は中期以降という印象ですね。他にも、二人組のアイドルグループと言えば……ザ・ピーナッツじゃなくて、リンリン・ランランじゃなくて、ザ・リリーズですね(笑)。いや、どこを源泉とするかなんてあまりこだわってないんですが、ザ・リリーズは確実にピンク・レディーの前に存在し、そのルックスやハーモニーの完成度はそこそこだったと思うンですが……。
 ま、一般的に存在感を主張できたのは、トリオのキャンディーズ、デュオのピンク・レディーってことで良しとしましょう。このグループアイドルの特徴は、その構成人数以上の魅力を発揮できるシステムであることを証明しました。純粋に1+1=2+αってことですね。これにより、'70年代後半はこの路線の継承者(というかエピゴーネン)が過当競争を繰り広げつつ衰退していく、まさに同時期のゲーム業界におけるインベーダーブームのごとき傾向を示します。その影でソロのアイドルがデビューしているのですが、どうしても榊原郁恵や大場久美子、石野真子あたりしか印象に残らない状況だったと言ってしまっては悲観的過ぎるでしょうか。

 いずれにせよ、キャンディーズ&ピンク・レディーの存在が、アイドルの役割を確固たるモノにした印象があります。これは'70年代全般に言えることですが、まずアイドルはバラエティ番組に出ること。これは先の天地真理や浅田美代子が番組出身ってだけでなく、それこそキャンディーズをお茶の間のアイドルにのし上げたのも「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!」の功績でしょうし、その後のアイドルは「8時だヨ! 全員集合」への出演はマストだったとも言えます。これは、'80年代以降、'90年代を経て現在も続く不文律と言えるでしょう。
 またアイドルは飛び抜けた個性が重要であり、なかなか柳下にドジョウは何匹もいないってこと。「売れている○○に似ている」じゃダメで、確実に個としての存在感を示しファンを掴まなければ売れないという印象ですね。
 更に、ある種のインパクトによりアイドル業界内の価値観も移り変わってしまうというファッション(流行)的な面を持ち合わせています。ポップスという音楽ジャンルが「流行音楽」と誤訳されることもありましたが、このアイドル産業(アイドル歌謡)のほうが、流行に左右され、時には流行を左右させている面を持っていたのです。これは、それまでの歌謡曲が熟達者による歌唱力や楽曲の披露という面に対し、インパクトやサプライズがあれば平気で新人が台頭できる可能性を示していたと言えます。
 つまりアイドル業界は、産業として新規参入が容易であり、それがより大きな市場を形成していくことに繋がり、'80年代の黄金期に突入していくわけです。とにかく物量の時代、'80年代の話は次回以降、何回かに分けてお送りしましょう。

第1回


第3回


 目次へ戻る
ウィンドウを閉じる

アイドルマスタートップページへ(別ウィンドウ)
(C)窪岡俊之 (C)2003 NAMCO BANDAI Games Inc.