BEYOND THE IDOL

 第八章 ◆'90年代アイドル中盤~後半、そして現在へ…



 多様化と細分化により、アイドルという言葉自体から「歌手」というイメージが無くなってきた'90年代。そんな中でも、声優や地下アイドルなどを中心に「アイドルのそれ」を実践していく場は少なからず存在していました。
 しかし、'80年代を彷彿とさせるアイドル活動を追求することとは別に、時代は女性ポップアーティストとアイドルを上手く重ね合わせていきます。前項で触れた安室奈美恵などの系譜は、'90年代前半にボーカリストやダンスユニットなどとして打ち出すも、芸能界における立場や年齢、アピールしているビジュアル面などから、アイドル的資質がより強く機能することになります。
 そもそも、時の芸能界では「アイドルとして売り出しては不利」という先入観や取り扱われる難さがある中、何よりもそれを支持するファンがアイドルとして応援する熱意を持っていたこと。やはりいつの時代も、歌って踊ってビジュアルバランスの秀でたアイドルを求めているのでしょう。
 その最たる存在がSPEED。アイドルという枠には収まらず、かつアーティストとして完成されていない危うさも持ち合わせていました。それが年齢によるものなのかどうかはともかく、アイドルユニットとして欠けがちな「ボーカルグループとして本格的」という匂いを感じながら、アイドル的応援でメンバーとファンが一緒に成長していかれる……こうした魅力を兼ね備え、'90年代中盤から後半にかけて爆発的な人気を博していきます。
 こうした「本格志向」は、本来アイドルに兼ね備わっていなくても許された側面でした。……いや、あくまで「アイドルとして本格的」であればよく、フォトジェニック&テレジェニックであることが優先され、そこに歌唱力やダンス能力が無くても許されてきた部分があります。それこそがアイドルというカテゴリーだったわけですから。しかし、本格的な技量を持ち合わせるアイドルが数多く登場してくるにつれ、許す時代から認める時代へと変化していった気がします。
 また、この時代の渾沌は、単純にアイドルと枠組みでは売れず、マーケット自体が縮小化していることを誰もが感じていたこと。だからこそ、それを理解しつつもサプライサイドが「あえてアイドルを生み出して遊ぶ」というアイドルが少なからず存在すること。少々自虐的な印象すら持ち合わせたアイドルの創出ですが……とは言い過ぎかもしれませんが、言わばアイドルとして売れなくても一定量で可愛くて若い女の子は必要だよな、ってことからマスコットガール的な位置づけで起用している例ですね。
 黒BUTAオールスターズやねずみっ子クラブ、MISSIONやチェキッ娘など、番組限定アイドルや企画モノのアイドルが常に存在していたわけです。これを拡大解釈するとワンギャルなども入ってくるのかもしれませんね。少々悲しいのは、彼女たちアイドルの扱われ方が主要キャストに対するエキストラ的存在だということ。あくまで色花添えでしかない。しかし侮れないのは、彼女達が楽曲をリリースしてアイドル的な側面を追求しているんですね。何をやりたいのか理解不能な面もあり、結局「その時が楽しければいいのかな」という軽薄な印象しか持てないアイドルが多く存在したものです。
 いや、アイドルというよりは、その名の通りマスコットガールやイメージガールという属性で処理したほうが良いのかもしれません。
 更にこの傾向は、特に歌を歌うわけでもない可愛らしい娘が、そのビジュアル要素を売りにして売れていけば、それこそが「アイドル」を呼ばれる事象を符合していきます。それが「グラビアアイドル」ですね。
 ビジュアルありき・ボディスタイルありき……というグラビア先行の彼女達は、雑誌媒体を中心に猛威を振るっていきます。当初は、雑誌などの紙媒体を中心に活動するも、前述したような情報バラエティ番組等のマスコットガール的な立場を経て、本格的なタレントとして各種番組に進出していきます。
 歌を歌おうが歌うまいがアイドルとして位置づけられ、そもそも芸の無いままタレントという立場に収まっていくため、その過程で楽曲をリリースすることも稀ではありません。先の例のように番組企画という場合もありますが、将来アイドル歌手あるいはアーティストに転身していく布石、はたまた単なる事務所の営業ツール、あるいは便乗商法よろしく歌わせているだけ……それはケースバイケースですが、そうした傾向も散見されるようになります。
 さて、'70年代~'80年代と通して見渡してみると、どうしても'90年代の話題がしょっぱくなってしまいます。本来この項で書くべきことは、SPEEDと浜崎あゆみ、広末涼子とハロプロだと思うんです。なんて思いつつも全然書いてないので、それぞれを独自の傾向としてまとめてみます。
 まずSPEEDは先ほど触れましたので浜崎あゆみの出番ですね。
 彼女は、気がついたら「日本の歌姫」と呼ばれている昨今ですが、その人気は芸能界でも最高峰。アイドルという切り口で語ることすら失礼な御仁ですが、ご存知のように駆け出しの頃はしっかりアイドルしていました。アイドル御用達歌番組にも出演していましたから、どんなアイドルでも実力とチャンスさえあればスーパースターも夢ではない。そういう意味では、アイドルが目指す一つの完成形が彼女なのかもしれません。
 続いて広末涼子。CMやグラビア出身で後にドラマなどへの出演が多い印象が強く「歌うアイドル」としてのイメージは無いかもしれません。しかし、その楽曲の良さには定評があり、J-POP屈指の作家陣によりハイクオリティな作品が揃っています。竹内まりや、岡本真夜を筆頭に、原由子、奥居香、広瀬香美、椎名林檎、篠原ともえなどGirl POPの世界では著名な作家が楽曲を提供。彼女のキャラクター性を生かしたアイドルポップスとして'90年代を代表する名曲が揃っています。惜しむらくは、オリジナルアルバムが2枚しかなく、もう少しアイドル歌手を続けてほしかった……というところでしょうか。
 さて、'70年代から現在までをざっと眺めてきた中で、大トリを務めるのがハロプロ。この存在を無くして『アイドルマスター』は無かったんじゃないかと思いますし、近年のアイドルムーブメントの立役者として十分な働きをしていると思います。
 とはいえ、すでにその活躍は語る必要はないかもしれません。モーニング娘。を軸に、卒業とオーディション加入を繰り返し、裏舞台を見せるドキュメンタリーや派生ユニットを繰り広げていきます。こうした展開は、'80年代の「おニャン子クラブ」の劇場型商法と重ねて語られることもありますが、表層的には似通っていても本質的には別物でしょう。
 特筆すべきは、そのアイドル活動自体よりも「アイドルってまだまだビジネスチャンスがあるのね」と業界内外に対し再認識させたこと。モーニング娘。に近似するアイドルグループは、いつの時代も実験的なモノや企画モノを含め、常に生み出されては大した活躍もせず消えていきました。しかし、やり方次第ではアイドルも今一度商売になることを指し示し、かつ「柳の下のどじょう」を狙う便乗参入により、アイドル芸能をにわかに活気づかせ、新しい道筋を築いたことこそ最大の貢献だと言えるかもしれません。
 このハロプロの成功により、歌を中心としたアイドルのカテゴリーが再び注目を浴びるようになり、モー娘。に続けと言わんばかりに、アイドル的音楽活動が華やかになります。本人たちはどこまでアイドルとして意識しているのか分かりませんが、ファンはこの新世代アイドルに食らいついていきます。
 特にグループ体系のピポ☆エンジェルズ、BOYSTYLE、Priere、Perfume、Springsなどは平均年齢も若くキャラクター性も多彩。最近ではティーンエイジクラブや森田クラブ、HINOI TEAMなど、どこまでメジャーなのか分かりませんが、確実なファンを掴んでいるようです。そんな中でもBON-BON BLANCOあたりが一番有名だったりするのかもしれませんね。
 更に、そうした既存のアイドルに飽き足らないファンは、プレアイドルを先物買いしたりローカルアイドルを追いかけたりと、相変わらずマニアックなフィールドワークは健在。
 ……と、ここ2~3年は盛り上がったと思ったら息切れも早く、最近は全体的に失速気味。やはりアイドル復権は一筋縄ではいかないのか、あまりにもミスリードをしている業界人が多いのでしょうか。そうした渾沌も手伝って「オレにアイドルをプロデュースさせろや」と思う人が多いのかもしれません。まぁ、そんな前向きな理由じゃなくても『アイドルマスター』が出てくる必然性はあったんでしょう。時代が求めたと言いますか……。
 さて、駆け足(?)で見てきたアイドルの歴史ですが、いかがだったでしょうか?
 次回から、ちょっと変わったテーマ別の切り口でお送りしたいと思います。

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