BEYOND THE IDOL

 第三章 ◆まさに群雄割拠の'80年代アイドル(前半~中盤)



 前回は、様々なアイドルが創出された'70年代をさらってみました。今回から黄金期と言われる'80年代に突入です。
 これはどこでも語られることでしょうけど、'70年代から'80年代のアイドルシーンへの移行は、あまりにも明示的に切り替わったと言われています。先のキャンディーズが'78年に解散、ピンク・レディーが渡米('79年)、山口百恵の引退('80年)など、'70年代を駆け抜けたアイドルたちがその年代の末期に見事に収束していく中、時を同じくして松田聖子が登場します。
 この'80年デビュー組は、'70年代の延長線上というより、その後の'80年代アイドルシーンの雛形として新しい存在感を提示していきます。松田聖子を筆頭に、河合奈保子、柏原よしえ、岩崎良美など、名前を聞いただけでワクワクしますね。その他、浜田朱里や三原順子などの大人びた感じのアイドルもこの年で、しっかりとキャラバランスが取れている感じがします。
 とにかく、様々なことが起こった'70年代のアイドルシーンはどこへやら。栄華を誇ったグループアイドルの影らしいモノも見当たらず、芸能界&歌番組は'80年代アイドルという世代の活躍の場になっていきます。

 さて、'81年は伊藤つかさ、松本伊代などがデビューしますね。ちょっと変わったトコでは薬師丸ひろ子もこの年にデビューシングルを出します。また、松本伊代は同年10月21日のデビューなのですが、歌謡賞レースの期限の関係上'82年扱いとなることが多く微妙なトコです。その他、沢田富美子やロビンちゃんこと島田歌穂もようやくの登場でしたね。
 続く年が俗に「'82年組」言われる豊作年で、堀ちえみ、小泉今日子、石川秀美、早見優、中森明菜、原田知世なんて具合。ただ、それよりもこの年がスゴイのは、前述の誰でも知ってる人よりも、ちょっとマニアックなトコで名曲・名演をしたアイドルが多いこと。一例を挙げると、水野きみこ(Kimmy)、川島恵(megg)、三田寛子、伊藤さやか、つちやかおり、水谷絵津子、白石まるみ、川田あつ子、北原佐和子・真鍋ちえみ・三井比佐子らのパンジーなんて方々がこの'82年を支えてたんですね。
 この頃になると、もうTVではランキング番組が隆盛の時代。当然、ニューミュージック系のアーティストとの争いも熾烈ですが、個々のアイドルが3~4カ月に1枚というシングルのリリースであり、その発売が微妙にずれていることがランクインに絶妙な噛み合いを見せていました。上記の中には、単なる引き立て役で終わってしまった人もいますが、いずれにせよ競争が激化してきたために、質としても分厚い印象です。

 さて、毎年のデビューアイドルを紹介していてもナンなんですが、'83年は、武田久美子、伊藤麻衣子、原真祐美、大沢逸美、森尾由美、吹田明日香……ちょっと微妙? 自分でも書いててそう思いました(笑)。話題性からすれば岩井小百合、結果を残したのはわらべってところでしょうか。あとは、後に別の話題で触れるソフトクリームあたりかな? 続いて'84年に行っちゃいますが、有名なトコで言えば、菊池桃子、岡田有希子、少女隊。失礼を承知でちょっとマイナーかなぁと思われるトコが、安田成美、宇紗美ゆかり、倉沢淳美、渡辺桂子、長山洋子、渡辺典子あたり? いや、みんな良い曲を歌ってますし、それなりの存在感はありましたよ。ここに名前すら出してない人も大勢いるので、そちらの方々のほうが失礼かもしれません(例えば、辻沢杏子とか松本友里とか)。

 いずれにせよ、こうして次から次へとアイドルがデビューしちゃ消えて行くわけですわ。消えて行くっつーのも失礼な言い方ですが、やっぱり人気がある時期(TV出演で散々目立ってる時期)って2~3年が良いトコで、この'80年代前半のデビューの方々も中期になってくると、どうしてもTV露出が減ってきます。この大きな谷間が'85年から'86年にかけての1年と考えられます。

 分かりやすく言えば、'85年に松田聖子が結婚からの引退(活動休止)。そして同年4月から始まった「夕焼けニャンニャン」によるおニャン子クラブの登場。おニャン子勢のシングルは軒並みヒットし、その猛威は翌年'86年1月1日発売の新田恵利のソロデビュー曲が、当時としては珍しい(初の?)女性歌手のデビュー曲がオリコン初登場1位という快挙が物語っているでしょう。その後、このおニャン子クラブ勢は、グループ本体やソロ、ユニットなどがシングルを乱発するも、年間全52週中35週は何らかのシングルで1位を独占し続けるという異常事態に陥ります。そして、その影で'86年4月に岡田有希子が自ら命を絶つといった悲劇も起こり、アイドルシーンとしてはまさに激動の1年となります。
 こんな時期を境に、色んな変化があったと思われるんですね。上記以外にも'84年8月の少女隊、11月のセイントフォー、12月の工藤夕貴などを、ン億円プロジェクトとしてデビューさせていきます。宣伝や展開における物量が多く、あまりにも供給過多な状況に辟易した方もいるでしょう。とはいえ、自分は少女隊はかなりストライクゾーンだったのです。ま、この話は後述しましょう。そうしたン億円プロジェクトが、あまりにもアイドルを産業構造として捉える匂いに嫌悪感を感じた人も多かったようです。
 そんな時に、松田聖子が辞め、おニャン子が登場しちゃったんですね。この時期を体験している人には、なんとも筆舌に尽くしがたい時代だということは分かってもらえるでしょう。
 おニャン子の功罪は様々なトコで語られ尽くしたような気がするので、今さら繰り返し書きませんが、これもある種のパラダイムシフトだったのかな、と。つまり'80年代前期のアイドルの多くは、この'85~86年を乗り越えられず、TVへの登場機会が徐々に減っていきます。

 この時期に切り替わるように登場したのが'85年組。とりあえず名前を挙げると、斉藤由貴、本田美奈子、松本典子、中山美穂、芳本美代子、浅香唯、南野陽子、石野陽子、佐野量子、岡本舞子、若林加奈、志村香など、ちょっと大盤振る舞いって感じですが、割と錚々たる方々でしょ~。ただ、先のおニャン子旋風の前には、かなり苦戦するわけですね。上記の中で斉藤由貴、南野陽子、浅香唯はスケバン刑事、中山美穂も様々なドラマ出演というアイドル女優という路線を開拓。松本典子や佐野量子などは後々になるけど、バラエティで生き長らえる方向に転身。ガチで歌で勝負した本田美奈子は、MINAKO with WILD CATSなどとアーティスト指向の強い活動に転身しつつも、結局第二のブレイクポイントはミュージカルという女優の道。
 どうしても、この時代はおニャン子が培った「歌が下手でも良く、可愛くなくても良く、どこか身近で、毎夕TVを付ければそこにいて、それほど志が高くないゆる~い感じがちょうど良い」なんて方向性が受けちゃった。つまり、毎日放課後にクラスの可愛い女の子と楽しい時間を過ごす喜びに近く、手の届かない旧態依然としたアイドル……しかも、経済構造物として商品感が強い傾向になってきている娘……を無条件で支持するような純粋な動機が希薄になってしまった感じと言えるのかもしれません。
 こうなると、ガチンコでアイドルをやってる娘はたまったモンじゃない。'80年代前半のデビュー組はまだ培った人気や既存のファンがいるから、TV出演は減ったとしてもまだまだ延命できる。けど、こうした価値観の相違にまともに直面した新人アイドルは1~2年の命で表舞台から姿を消してくことになったわけですね。
 このような状況に翻弄されたのは、何もアイドル本人だけではありません。そう、ファンも同時に渾沌の時代を迎えていたわけです。ここまでは駆け足(?)でアイドルの変遷を追ってきましたが、次回はファンとしての私の遍歴を綴ってみたいと思います。

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